
- 父親は東芝でリニアモーターカー開発で、50以上の特許取得に関与した技術者
- 母方は奈良県吉野の名家「梅本家」で、明治維新まで代官を務めた家柄
- 母方親族にはアメリカンエキスプレス社長、TBS元常務取締役など著名人が多数
- 父親はバブル期に東芝の役員クラスまで昇進し、年収は数千万円規模と推定される
- 自然豊かな八王子の実家で、オーガニック食材にこだわる裕福な家庭環境で育つ
- 強豪・八王子リトルリーグに所属し、後にプロ野球選手になる選手たちと共にプレー
渡部建の実家が金持ちという噂の真相
お笑いコンビ「アンジャッシュ」のツッコミ担当として活躍する渡部建さん。
現在は企業向けの講演会やセミナーを中心に活動されていますが、
かつてはテレビやラジオで8本ものレギュラー番組を持つ売れっ子芸人でした。
そんな渡部建さんについて調べると「実家が金持ち」という情報が数多く出てきます。
この噂は本当なのでしょうか。結論から言えば、渡部さんの実家は確かに裕福な家庭だったと言えます。
その理由は主に二つあります。
一つは父親が大手企業・東芝で役員クラスまで昇進した優秀な技術者だったこと、
もう一つは母親が由緒正しい名家の出身だったことです。
渡部建のプロフィール
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 本名 | 渡部 建 (わたべ けん) |
| 生年月日 | 1972年9月23日 (53歳) |
| 出身地 | 東京都八王子市 (府中市生まれ) |
| 血液型 | O型 |
| 身長 | 175cm |
| 所属事務所 | プロダクション人力舎 |
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| コンビ結成 | 1993年、アンジャッシュ (相方: 児嶋一哉) |
| 学歴 | 神奈川大学経済学部卒業 |
| 主な賞 | 2003年 NHK「爆笑オンエアバトル」5代目チャンピオン |
| 代表番組 | 「ヒルナンデス!」「行列のできる法律相談所」など |
| 最近の活動 | 企業講演、書籍出版、YouTube |
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 趣味 | 食べ歩き (年間500軒以上)、阪神・高校野球観戦 |
| 特技 | ジャグリング、恋愛心理学、夜景鑑賞士3級 |
| 家族 | 妻: 佐々木希 (女優)、子2人 |
父親・渡部新次郎さんの華麗なる経歴
東芝で活躍した優秀な技術者
渡部建さんの父親は渡部新次郎さんといい、昭和11年(1936年)に長崎県長崎市で生まれました。
長崎西高校を卒業後、旧帝国大学の一つである九州大学工学部に入学。

卒業後は当時の東京芝浦電気(現在の東芝)に入社し、府中工場の設計部で技術者として勤務しました。
リニアモーターカー開発と特許取得
父・新次郎さんの最も注目すべき功績は、リニアモーターカーや新幹線の開発に携わったことです。

技術畑一筋で働き続け、退職するまでに50以上もの特許取得に関わるという驚異的な実績を残しました。
2017年10月25日に放送されたNHK「ファミリーヒストリー」でも
渡部建さんの父親の経歴が詳しく紹介され、その優秀さが証明されています。
東芝役員クラスの高収入
渡部建さん自身が2018年1月25日放送の「アメトーク」島耕作芸人に出演した際、
父親について「俺の父親も島耕作と似てて元東芝の社員なんだけど、
東芝の社長にもなりかけて結局なれなかったんだけど」と語っています。
社長の一歩手前まで行ったということは、東芝の役員クラス、
あるいは東芝グループの北芝電機常務取締役まで務めたという情報もあります。
当時の東芝の年収を調べると、技術職で800万円程度、管理職になると1000万円は保証されるとのこと。
父・新次郎さんが役員クラスだった場合、さらに高額な報酬を得ていたと推測されます。
特に父親が活躍したのは高度経済成長期からバブル期にかけてであり、
役職付きのサラリーマンとしてはかなりの高収入だったことは間違いありません。
合理的な教育方針
父・新次郎さんは非常に合理的な考え方を持つ人物でした。
渡部建さんはインタビューで「父は考え方がものすごく合理的でした。
例えば漢字のテストでも、人と同じ時間勉強して同じ点数では褒めてくれません。
いかに少ない時間で大きな成果を出せるかにこだわる人でした」と語っています。
このような父親の合理的な思考法は、渡部さんのコント作りにも大きな影響を与えたといいます。
アンジャッシュの代名詞である「すれ違いコント」は、2段階の方程式で会話を組み立てる手法で作られており、
これは父親の影響を受けたものだそうです。
母方は由緒正しい名家「梅本家」
奈良県吉野の名門一族
渡部建さんの母親・恵子さんは、奈良県吉野にある「梅本家」という名家の出身です。
梅本家は明治維新まで代官を務めていた家柄で、そのルーツは南北朝時代にまでさかのぼります。
梅本家は、南北朝時代に足利尊氏に追われた後醍醐天皇を支えた有力豪族の一人とされ、
代々地域社会の指導的立場を担ってきました。
奈良県吉野郡下市町には、梅本家が創建したとされる530年の歴史を持つ浄徳寺があり、
この寺の山号は「梅元山(ばいげんざん)」、つまり梅本家の名前に由来しています。

華麗なる親族たち
母方の家系には、数多くの著名人やエリートが名を連ねています。
祖父・梅本正倫氏は明治34年(1901年)生まれで、京都帝国大学卒業後、
満州へ渡り南満州鉄道株式会社(満鉄)に入社。
南満洲鉄道参事や撫順セメントの取締役を歴任し、
昭和20年にソ連軍や中国軍が侵攻した際、日本人の代表として交渉を行いました。
伯父・梅本章夫氏は東京大学卒業後、東京銀行の元副頭取を経て、
アメリカン・エキスプレス・インターナショナル日本社長に就任。
伯父・梅本彪夫氏は九州大学卒業後、TBS元常務取締役に。
叔父・梅本茂夫氏は九州大学経済学部卒業後、富士紡績社長に。
叔母・梅本靖子氏(ジンメルマン・靖子)は日本航空客室乗務員からアメリカ人と結婚し、
現在はアメリカ在住。息子のJAYさんはDJとして活躍しています。
母方の兄弟全員が東大や九州大学などの一流大学を卒業し、
大企業の社長や役員として活躍しているという、まさに「華麗なる一族」です。
料理上手な母親
母・恵子さんは独身時代、大手保険会社で働いていましたが、
昭和42年(1967年)10月に父・新次郎さんとお見合い結婚し、専業主婦として家庭を支えました。
恵子さんは料理が非常に得意で、毎日三食のご飯はもちろん、おやつまで手作りでした。
クッキーやバナナケーキを焼き、市販のお菓子や炭酸飲料は禁止。
オーガニック食材にこだわった食事を提供していました。
近所に生えているつくしを採ってきて、しょうゆで甘辛く煮るなど、旬の食材も積極的に使用していました。
このような母親の影響で、渡部さんは現在の「グルメ王」としての知識や舌を培ったと言えるでしょう。
八王子の自然豊かな環境で育った幼少期
実家の場所と生活環境
渡部建さんは東京都府中市で生まれ、小学校に上がる前に八王子市に引っ越し、
八王子市立片倉台小学校に通うようになります。

渡部さんは実家について「実家は山の中にあり、家の周りにはカブトムシがいたり、
子供の頃は虫を取ったり、つつじの花の蜜を吸ったり、
東京都内でありながら自然豊かな環境で育った」と語っています。
都会の子供でありながら、田舎のような自然と触れ合える環境は、
裕福な家庭だからこそ実現できたものと言えるでしょう。
強豪・八王子リトルリーグでの野球経験
渡部建さんは小学校1年生の時から「八王子リトルリーグ」に入り、
中学3年生まで9年間野球を続けました。守備位置はショートやセカンドでした。
この八王子リトルリーグは非常に強豪チームで、渡部さんと同時期に所属していたメンバーには、
元中日ドラゴンズ・東京ヤクルトスワローズの遠藤政隆選手(渡部さんのチームメイト)や、
元西武ライオンズの高木大成選手(渡部さんの1学年下)がいました。
最終的にこのチームから甲子園に3人、プロ野球に2人が進出したという実績があります。
渡部さんは「週刊野球太郎」のインタビューで「当時の八王子リトルはものすごく強くてレベルが高かった。
僕はずっと一軍の補欠で、練習試合の守備固めでようやく出られるレベル」と振り返っています。
強豪チームに所属できたのも、親の経済的な支援があってこそです。
リトルリーグは硬式野球であり、用具や遠征費用など、一般的な少年野球よりも費用がかかります。
教育費も惜しまない家庭
渡部建さんは東京都立日野高等学校を卒業後、神奈川大学経済学部に進学しています。

神奈川大学は私立大学で、当時の学費は初年度納入金が約117万円、4年間で約460万円でした。
また、渡部さんは大学受験で浪人も経験しています。
椎間板ヘルニアを発症して志望校に受からなかったのですが、
浪人中も父親は「人生遠回りした方がいい」という手紙を渡し、息子を励ましたそうです。
兄弟姉妹との温かい家族関係
渡部建さんは5人家族の末っ子として育ちました。
家族構成は父、母、兄、姉、渡部さんの5人です。

長男の寛さんは昭和43年(1968年)生まれで、現在は介護職に従事しています。
長女の優子さんは昭和44年(1969年)生まれで、既婚者で子供がいます。
渡部さんが2歳の頃の歌声を携帯に保存しているなど、弟を可愛がってきた様子が分かります。
3人兄弟の末っ子として生まれた渡部さんは、
家族の中でアイドル的存在だったと言われています。
お正月には家族で集まり、渡部さんが厳選したおせち料理を一緒に楽しむなど、
現在も温かい家族関係が伺えます。
父親の教えと不倫騒動後の対応
会社人間だった父親
父・新次郎さんは典型的な会社人間で、家にいる時間が少なく、
休日も接待ゴルフに行くような生活を送っていました。
渡部さんはこの父親の姿を見て、「それを見てきたから、
俺たち兄弟3人とも普通のサラリーマンにはならなかった」と語っています。
不倫騒動時の父親の手紙
2020年6月に複数の女性との不倫が発覚し、活動自粛を申し出た渡部建さん。
そんな息子に対して、父親は手紙を渡しました。
その内容は「先方のご家族に恥ずかしい思いをさせたことをお詫びしないといけない。
できることなら私が今すぐ飛んで行って土下座でも何でもしたいくらいだ」というもので、
妻である佐々木希さんの秋田の親族を気遣う内容でした。
合理的な考え方を持つ父親でも「家族」を思い遣る気持ちは別だということが分かります。
グルメ王としての原点は家庭環境にあり
現在、「芸能界のグルメ王」として知られる渡部建さん。
年間500軒以上のレストランを食べ歩き、
DMM オンラインサロン「渡部建のとっておきの店、こっそり教えます」でグルメ情報を配信しています。

この食に対する深い知識と興味は、母親の影響が大きいと言えます。
オーガニック食材にこだわり、手作りの料理やおやつを提供してくれた母親の食育が、
現在のグルメ志向の基盤を築きました。
市販のお菓子や炭酸飲料は禁止され、つくしなどの旬の食材を使った料理を提供するなど、
食文化への興味を育てる環境が整っていたのです。
現在の活動と年収
活動再開後の仕事
2020年6月の不倫騒動後、活動自粛を経て、2022年2月に芸能界復帰を果たした渡部建さん。
現在は企業向けの講演会・セミナーを中心に活動しています。
講演内容をもとに、コミュニケーション術についてまとめた書籍『超一流の会話力』を2022年11月に出版し、ベストセラーとなりました。
また2023年には第2弾となる書籍『世界一わかりやすいコミュニケーションの教科書』を出版しています。
2024年6月21日には『5時に夢中!』(TOKYO MX)に生出演し、復帰後初の地上波生放送となりました。
推定年収
全盛期の渡部建さんは年収が億を超えていたと言われていました。
しかし不倫騒動から全く仕事がなくなり、
現在は少しずつ芸能界の仕事も増えてきているものの、以前のようにはテレビ出演はできていません。
現在の渡部建さんの年収は2000万円前後ではないかと予想されています。
講演会や書籍の印税などで安定した収入を得ていると考えられます。
まとめ:渡部建の実家は確かに金持ちだった
渡部建さんの実家が金持ちという噂は事実でした。
父親は東芝の役員クラスまで昇進した優秀な技術者で、リニアモーターカー開発に携わり50以上の特許取得に関与。
バブル期の役職者として年収は数千万円規模だったと推測されます。
母親は奈良県吉野の名家「梅本家」の出身で、南北朝時代から続く由緒ある家柄。
親族にはアメリカンエキスプレス社長やTBS元常務取締役など、
著名人が名を連ねる華麗なる一族です。
自然豊かな八王子の実家で、オーガニック食材にこだわる母親の手料理を食べて育ち、
強豪・八王子リトルリーグに所属するなど、恵まれた環境で育った渡部建さん。
現在のグルメ王としての知識や、論理的思考力を活かしたコント作りは、両親の影響を強く受けていることが分かります。
不倫騒動で一時は芸能活動を自粛しましたが、
現在は講演会や書籍出版など新たな活動で再起を図っています。
家族の愛情に支えられながら成長してきた渡部さんの今後の活躍に期待したいところです。
記事全体の要点まとめ
- 父・渡部新次郎氏は九州大学工学部卒業後、東芝に入社し、リニアモーターカーや新幹線の開発に携わった優秀な技術者
- 父親は退職までに50以上の特許取得に関与し、東芝の役員クラス(または東芝グループの北芝電機常務取締役)まで昇進
- バブル期の役職者として年収は数千万円規模と推定され、実家は確かに裕福だった
- 母・恵子氏は奈良県吉野の名家「梅本家」出身で、南北朝時代に後醍醐天皇を支えた豪族の末裔
- 母方の親族はアメリカンエキスプレス社長、TBS元常務取締役、富士紡績社長など、エリートばかり
- 祖父・梅本正倫氏は京都帝国大学卒業後、満州で南満洲鉄道参事や撫順セメント取締役を歴任
- 母親は料理が得意で、オーガニック食材にこだわり、手作りの料理やおやつを提供する食育を実践
- 渡部建氏は自然豊かな八王子で育ち、強豪・八王子リトルリーグに9年間所属し野球経験を積んだ
- 八王子リトルからは甲子園3人、プロ野球2人を輩出するほどの強豪で、後にプロになる選手たちと共にプレー
- 父親の合理的思考法は渡部氏のコント作りに影響を与え、母親の食育は現在のグルメ王としての基盤となった
- 3人兄弟の末っ子として家族に愛されて育ち、兄は介護職、姉は既婚で、現在も家族関係は良好
- 不倫騒動後も父親からの励ましの手紙があり、現在は講演会や書籍出版で活動を再開している
